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- 2023.08.09 Wednesday
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「起業 決断の瞬間」に掲載していただきました。
エクサネットの松延さんによる取材のおかげで
思いがけず、これまでの半生をふりかえることに…。
保管していた小学校の卒業記念の作文集では
「自分のチカラで、絶対に幸せになる」と
人生の方針を述べていて、我ながら驚きました。
中学校の担任との交換日記でも
「弟から四葉のクローバーをもらったけれど
幸せは自分でつかむもの」と綴っていました
物語が好きで、文章やイラストを描くことが好きで
自分のことを「ネクラな少女」と思っていたけれど
作文に顕れている自分は、タフでアグレッシブな
人生のチャレンジャーでした(笑)
こんなにタフでアグレッシブなオンナ
男性にとっては、かわいくないだろうな〜(爆)
ホントは尽くすタイプなのにね!
明日は、大好きな亡父の祥月命日。
23回忌。
法要はすでに終えましたが、大切な父を偲ぶ一日
自問自答しながら、心静かに過ごします!
南無阿弥陀仏。
「起業 決断の瞬間」記事 抜粋———————————————————————–
<前略> ’83年7月フリーランスのコピーライターとして独立起業、
24歳の時でした。とにかく、「やりたいことをやるのが人生!!」という思いに駆られていました。ストレスも消え、前向きな気持ちになると、体調も快復し、次々と大手企業さんの広告に携わる機会に恵まれました。
広告代理店でのアルバイトで培った人脈があったのと、女性視点のクリエイターもまだまだ少なかったからでしょうか。自分の書いたコピーが雑誌に掲載されたり、屋外や車内の広告で目にしたりする喜びにわくわくする毎日、経済的にも自立できて、とても幸せな時期でした。
にもかかわらず、2年ほど経った頃、「この仕事は、自己表現ではない」という疑問にとらわれました。それなりの評価もいただき、安定収入もある中、クライアントさまの代弁をこのまま続けていくのか、キャリアチェンジするのか、自問自答がはじまりました。
そして、明確な答えを出しきれないまま、実家のある愛知県に居を移し、コピーライターを当面、続けることにしました。85年26歳のときでした。ところが、地元に望むような仕事はなく、2年ほど、暗中模索の日々が続きました。→インタビュー記事 詳細はこちら
判定ポイン ト・・・ 主に以下の評価項目を判定のポイントとする。 |