3月14日は、浅野内匠頭長矩の命日。
1701年のこの日、内匠頭(たくみのかみ)は
江戸城 松之廊下で、高家筆頭 吉良上野介義央に切りつけ
即日、切腹を命じられました。
殿中で刀を抜くのは、ご法度の時代。
刀を抜いたら切腹、お家断絶
一族郎党を路頭に迷わせるのが分っていて
なぜ、抜いたのか?
その心の闇が長い間、とても不思議でした。
そして、もし、切腹前の浅野内匠頭を
面談することになったら?
キャリアカウンセリングは
その人の成長をめざしています。
内匠頭が、自らを客観視する場をつくり
刃傷事件について意味づけをしながら
自分とは何者か、新しい自分に気づくプロセスを
提供できるのだろうか。。。と思うわけです。
そのとき、非審判的に寄り添えるのだろうか?
わたくしは、内匠頭がリーダーとして
家や家来を守れなかったことをよしとしていません。
自らの言動の影響を慮れなかったリーダーに
善し悪しを問わず、寄り添えるのだろうか?
わたくしたちは自らの価値観にてらして
ついつい、審判的にものをみています。
それでは、寄り添えない…
カウンセラーも上司も親も、あらゆる支援者が
支援者としての幅を広げようとするならば
芸術の世界はとても助けになります。
芸術は、善し悪しで判断をしませんから…
今年(2014年)の1月に、WOWOWが
3本の「忠臣蔵」を放映、3人の内匠頭が登場しました。
忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻(1959年)…萬屋錦之介さん
赤穂浪士 天の巻・地の巻(1956年)…東 千代蔵さん
赤穂浪士(1961年)…大川 橋蔵さん
ついでながら、あの頃の役者さんの演技は様式美にあふれ
これぞ時代劇という醍醐味を味わいました。
多少ものものしい演技ですが、そのものものしさが
表現として美しいところに目を見張りました。
さて、3本の映画が描く、内匠頭のパーソナリティと
刃傷へ至る心情の解釈は、かなり異なっていました。
これは、カウンセリングにおきかえると
「見立て」が異なるということです。
錦之介さんの内匠頭は、おっとりとしたお坊ちゃま。
能力を超えた務めに、一生懸命、励んでいるのに
上野介に愚弄され、堪忍して堪忍して堪忍したものの
情けなさから、怒りが堰を切ってしまう…という見立て。
千代蔵さんの内匠頭は、竹を割った気性で短気。
上野介から筋のとおらない扱いをされる度に
キレかけては家来にたしなめられ
キレかけてはたしなめられ
でも、やっぱりキレちゃった…という見立て。
大川橋蔵さんの内匠頭は、融通のきかない優等生。
厳禁のはずの賄賂を喜ぶ上野介を疎み
刃傷の取り調べでは、「義(人として正しいこと)」を優先し
幕閣の温情を退け、命乞いをしなかった…という見立て。
いまとなっては、真実は分りません。
けれども、さまざまな見立てがあるということは
内匠頭の心の闇に寄り添うための手がかりです。
もっと、内匠頭の心に寄り添うために
713回目の命日に、史実をひも解いてみました。
ある文書によれば、内匠頭は女好きで
子どものころから、為政は家来に任せていたとか。
そして、さまざまな文書に記された事件の背景とは…。
文書に残る内匠頭の言葉、重要な関係者の言葉とは…。
皆さまもぜひ、残された言動の記録から
その人となりとその心の世界とその闇を
見立ててみては如何でしょうか。
ひとつの見立て(仮設)をすべてと決めつけず
複数の見立てを探ると、見えるものが変わるようです。
そして、真実は、泉岳寺の墓所で
ご本人が抱きしめながら、眠っているのです。
監督も脚本も役者さんも
見立てが命〜!
「見立て」に例えるのは、解りやすい例えだと唸ります。
いつも、
全員を合格させようと必死だった先生の講義を思い出します。