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コラム
明けましておめでとうございます!
本年は未年。未の月にあたる6月は
作物が成長する季節であることから、「未」の字には
豊作への願いがこめられているそうです。
CDA二次試験受験の皆さんには、まもなく結果発表!
2015年が実り豊かな年であるよう、祈念したします。
さて、新年早々、決意を改たにいたしました。
それは、朝食をちゃんとした食器で食べるということ!
年の初めにいただく、お節はちゃんとした食器なのに
一日の初めにいただく、朝食はルーズになりがち…
朝食だけではありません。
調理の時間がなくて、中食のお惣菜を買ったときに
陶器や磁器のお皿に移すのを省略…という日もあります。
でも、ちゃんとしたお皿のほうが、美味しく感じますよね!
さらに! 日本の文化的な儀式として
ちゃんとした食器でいただきましょう!
…という提案が、新年早々のメルマガで届きました。
http://archive.mag2.com/0000263317/index.html
メルマガの著者は、尊敬するお友だち 中村和世先生です。
和世先生は、ローレンシャンスクールという私塾の校長先生で
幼児教育から南山小学校や私立中学校受験、大学入試まで
子どもたちの20年間にわたる成長をサポートしている方です。
和世先生は、お節や禅の修行をひも解き、食事は儀式=文化だから
子どもたちに、ちゃんとした食器で朝食を、と提案されています。
「勉強は一生懸命させるけれど、食事はさっさとすませる」のは
「古来日本が大切にしてきた精神と、随分かけはなれたスタイル」と。
先生はこれまで、4000組超の親子のお世話をされてきた経験から
お食事を大切にしている家庭のお子さんは道を外しにくい…とも。
また、英国や米国でも、朝食の大切さ、食事の大切さを
調査したり、プロジェクトを展開しているそうです。
儀式には、意味があります。
食事は、生物の命をいただく行為です。
命を捧げてくれた植物に感謝をこめるから、「いただきます」です。
だから、「いただきます」にふさわしい食器を使わなければ!
忙しい毎日、プラスチックのお皿を使う日もありそうですが
これを当たり前にしてしまうのは違う!
…と、和世先生のコラムを拝読し、襟を正しました!
ただいま、「幸せになる技術」について執筆中です。
幸せになる技術の中でも、「感謝」は大切な技術です。
毎日の食事に感謝し、感謝の気持ちを味わうためにも
ちゃんとした食器でお食事をしようと決意!
皆さまも、命たちに感謝を示す儀式として
ちゃんとした食器で、お食事しては如何でしょうか!
中村和世先生の素晴らしいコラム(編集 by そのま)は
以下のとおりです。
◎和世先生の南山小学校受験対策------------------------------
⇒
http://archive.mag2.com/0000263317/index.html
共働きの方も、そうでない方も、とにかく、朝ごはんだけ、しっかり子どもに食べさせて下さい。そして、できれば、陶器のお茶碗やお皿に食べ物をのせて、ガラスや陶器のカップで飲み物を飲んでください。ビニール袋に入ったパンをお皿にも載せずに、袋からそのまま食べる、飲み物もパックに入ったものにストローにさして飲むなどは、例外としてはあっても、できればさけてほしいものです。
(セミナーで)その話をさせて頂いた際に、若いお母さまから「どうして、プラスチックではだめで、陶器のお皿じゃないといけないんですか」という質問や、お父さま方からは「データはあるんですか?」という質問をうけました。
データに関しては、スクールの小学校受験の結果や、その後の伸びで数値としても示すことができますし、後述の研究機関でのデータもでています。
☆では、なぜ?
なぜ、プラスチックより、陶器のお皿のほうが良いのかというご質問に対しては、そもそも食事と言うのは、どういうものか、というところに立ち返り考えたいと思います。
食事は、栄養をとるためのものである、と同時に、日本では、儀式として捉え、考えられて来ました。お正月にみなさまが食されたお節料理がよい例でしょう。お節料理は、歳神様をもてなすご馳走で、わたくしたちは、そのお下がりをいただく、もしくは、一緒に頂くもので、その為、お正月に使う祝い箸は、両端が細くなっていて、一方が神さま、もう一方をわたくしたちが使うという意味があります。
また、禅の世界でも、食べることは大切な修業のひとつです。鎌倉時代の高僧、道元禅師の著書『典座教訓』に、以下のような一節があります。「昼食や朝のおかゆの支度を作法通りに整え終えたら、それを庫院(くいん:台所)の前の飯台の上にきちんと置いて、典座は、袈裟を身に付け、坐具を敷きのべて、まず、庫院から僧堂のたてものに向かって、香を焚いて九回拝礼し、それが終わったら、食事を僧堂に運ばせるのである」とあります。
食事の準備ができたら、1、袈裟をつけ、2、坐具(ざぐ:下に敷くもの)をのべ、3、香を焚き、4、九拝してから運ぶ、というのですから、食事をどれほど大切に考えているか、容易に想像できるところだと思います。禅の修行では、修業に上も下もありません。経典を読んだり坐禅をする修業はありがたく感じても、食事は、その合間に、手早くすませて、などということではありません。
参考図書:「禅が教えてくれる 美しい時間をつくる「所作」の智恵 枡野俊明 著」
☆勉強は、一生懸命させるけれど
勉強は、一生懸命させるけれど、食事はさっさとすませる、これは、古来日本が大切にしてきた精神と、随分かけはなれたスタイルです。日本だけではありません。イギリスの研究機関が食事と所得と教育の関係を調べたデータでも実証されていますし、アメリカでは、学校が朝ごはんプロジェクトなどを学校が行い、朝ごはんの大切さ、食事の大切さについての運動を行っています。
ローレンシャンスクールは、来年、40年目の節目を迎えますが、4000組以上のご家族の方々とご縁をいただき、つくづく痛感するのは、子育てにおける食の大切さです。
小学校受験に留まらず、その後、中学、高校、大学、社会人にいたるまでの長いお付き合いをさせていただいておりますと、中には、どこかで少しばかり回り道をしたようにみえた子もいます。けれども、ご家族の方が、食事を大切にしてこられたご家庭の子は、どこかで必ず本来のその子の道にもどり、輝きを取り戻しています。
今年は、儀式としての食事という側面でも、いま一度食事について、考えてみてはいかがでしょうか。グローバル化や科学が進歩の一途をたどるなかで、最先端のものを取り入れつつ、これまで自分たちの祖先が大切にしてきたものについても、想いを馳せることができたら、とてもすばらしいと思いませんか。
☆ さて、日本では。
日本では、6年後にはオリンピック、3年後にはセンター試験廃止、など、大きな変化や節目を迎えていく中で、保護者の方々におかれましては、少しそわそわした想いでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
そのような中で、食事の時間を大切に一年を過ごす、というのは、悠長すぎる、または、かえって大変に感じられるかもしれません。しかし、これは、さまざまな年代の子どもたちと永きにわたり密なお付き合いをさせていただくという貴重な経験から得たわたくしどもの見地であり、なにより、さまざまな時代を生き抜いてきた、わたくしたち日本にルーツを持つ先人たちが大切にしてきた、共有すべき財産であり、宝物です。
わたくしどもも、今年、今一度、食事にまつわるさまざまな事柄に心を配り、日本に魅力を感じ、日本の繁栄の秘密を知りたいと思っている世界中の多くの方々に、日本にいる子どもたちは、最先端のテクノロジーと同時に、古き良き文化や伝統、精神性を大切にしています!と発信していくことで、日本の子ども達の競争力を高めるような活動を展開して参りたく存じます。